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うきうき★バードウォッチング

05/15

Wed

2024

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04/07

Thu

2011

被災地に何か送りたい、ボランティアに行きたい、
そう考えて下さる方もいるかと思いますので、
今回はそれにちなんだお話です。


まず、被災者に物資を送る場合について。

個人宛てにしろ、避難所等の団体宛てにしろ、
まずは先方が今必要な物と数量を調べて下さい。
もしくは、ほんの少し先を見据えた物資を送るといいかもしれません。
(例えば、毛布やカイロではなく、タオルケットや薄手の着替えなど)

そして避難所の場合は、細々とした物を少しずつではなく、できれば同じ物をまとまった数で送って頂く方が分配しやすいです。

具体的に何が喜ばれるかは個人や状況によりますが、例えば水道が使えない所なら、普通のウェットティッシュではなく拭くだけメイク落としや汗ふきシート等、行政が用意してくれなさそうな品を選ぶのも手ですね。

私自身、被災直後に一番必要だったのはズボンと靴。でも送られてきた服は上着ばかり。
津波で冠水した箇所を歩くことがあったので、ズボンは皆さん欲しがってました。

それから、最も注意すべきは食べ物!
消費期限の短いものはタブーです。
個人的にお見舞いする場合も必ず相手に聞いた方がいいです。

ちなみに私の避難所では、企業から売れ残りであろう商品がどっさり届きます。
それが甘い菓子類や菓子パンばかりで、保存も廃棄もできずに困惑してるのが現状です。
そのうえ、支援物資でも同じような物が届くと、もはや苦痛でしかありません。
最近ようやく、少し野菜類も頂けるようになりましたが、食事の大半がお菓子なので、これにはさすがの子供たちでさえうんざり顔。

贅沢な悩みかもしれませんが、捨てられない物だからこそつらいのです。


あくまで個人的な意見や感想ではありますが、少しでも参考になれば幸いです。

次回はボランティアについて。
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04/06

Wed

2011

つづき


旗は全部で3色り、それぞれ意味が違います。

赤は
『家ごと全て撤去して下さい』

黄は
『家はそのままで、周囲の瓦礫だけ撤去して下さい』

緑は
『何もしないでそのままにしておいて下さい』


うちは母屋には黄色の旗を立てました。

「幸せの黄色いハンカチ」ではないけど、
赤い旗の人や、旗が必要ない(家屋が流されて何も残ってない)人を思えば、
黄色い旗は幸せなのかもしれません。

ところで、被災地に見物人が多数おしよせ、捜索活動の妨げになっているそうです。
被災地の様子や遺体の撮影までしたり、さらにはゴミを投棄していく人がいるとか。

そういう奴らが代わりに犠牲にればよかったのに…。

言葉は悪いですが、これが本音です。

04/06

Wed

2011

今日は朝から夕方まで自宅の片付けをしてきました。
今の避難所からは車で15分くらいでしょうか。

もはや自宅は帰る場所ではなく
「行く」場所になってしまいました(T_T)

以前は道路が瓦礫で塞がれて通れない箇所も多く、
家のそばまで車では行けない状態だったんですが、
今は道路だけは片付けられていて、
だいぶスムーズに行けるようになりました。

家に着き、まず私がしたことは、
そう、エサ台のチェック(笑)
3日前ホワイトハウスにてんこ盛りにしていったエサはほとんどなく、
庭に置いておいたリンゴもかじられていました。
何か嬉しいです(^-^)




どこの家もそうですが、敷地内の瓦礫は個人で片付けらるレベルではないため、後で自衛隊が撤去してくれることになっています。

わが家は母屋の隣に小さな小屋みたいな建物があるんですが、それは見事に倒壊(T_T)



で、目の前に赤い旗があるのがわかります?

この旗は各自で家や車に立てることになっていて、
自衛隊が瓦礫撤去をする際の目印にしてもらう仕組みになってるんです。


つづく

04/05

Tue

2011

いずみんさん

おかかさん

じゅおんさん

しょーちゃんさん

ととろさん

ぴーちゃんさん

ゆうき先生

ゆうゆさん

ヨシヤさん

Canonさん

min628さん

Simcoさん

tabibitoさん

yumeno8560さん


いつも応援して下さる皆さん、

はじめましての皆さん、

温かいコメントありがとうございます。

一つ一つ嬉しく拝見しています。



すっかり趣旨の違うブログになってしまいましたが、

もしご意見・質問等あれば遠慮なくどうぞ。

「人を探したい」といったことでも構いません。

こちらで知り得る限りの情報をお伝えします。



私で役に立つことがあれば、利用して下さいね。





宮城のゆるキャラたち

(モチーフは、ほや、おむすび、こけしです)

04/04

Mon

2011

今日は電車で仙台に行きました。地震の日以来です。

職場が仙台駅の近くにあり、4月1日から業務は再開してるんですが、私は退職することにしました。
近日中に今の避難所から移動になり住まいも定まらないし、
それに何より今は自宅の片付けが急務。
ま、仕方ないです。

ちなみに、自宅の最寄り駅からの電車の運行は依然未定。
この路線は駅舎ごと流されてしまったり、さらには原発もあるので、復旧の目処は全く立っていません。

さて、現在の仙台駅はと言うと、ほんの一部の路線が運行再開したばかりで人影もまばら。
電車の車内も駅も消灯されていて薄暗いせいか、余計淋しい印象に(T_T)

県庁に行ってみると、対策本部がある割には人の出入りも少なく、これまた静か。
もっとマスコミとかいてバタバタしてるかと思っていたので意外でした。

街中の商店はまだ閉まっているところも多く、沿岸部から離れた仙台の中心部でさえこうなのだから、復興までには相当な時間がかかりそうです。


避難所への帰り道、可愛い小鳥のさえずりが聞こえてきたので見上げると、案の定、モズオ(笑)
色んなレパートリーを披露してもらっちゃいました♪

なんか、ちょっと和んだよ。
ありがとう、モズオ(^-^)

写真が横向でスミマセン(>_<)

04/03

Sun

2011

今日は自宅に行ってきました。

家の周囲では連日行方不明者の捜索をやっていて、すぐ近くの避難所(今の避難所に移る前に私がいた所)では、今でも何人かの遺体が発見されてる現状です。

先日も、湖のような状態のわが家の前の田んぼで、自衛隊員が横一列に並んで水中を棒で突きながら捜索をしていました。

そんな感じなので、自宅の庭から遺体が出てくる可能性もなきにしもあらずなのです。

私の家は、外観は一見キレイな状態で残っているものの、台所の壁の一部が流木で突き破られてなくなり、家の中も津波が駆け抜けていったので壁がえぐれたりしいて、とても住める状態ではありません。
しかも、家財道具が全てダメなのはもちろん、他人の家の物まで流れてきてるのでもうメチャクチャ。


被災地では火事場泥棒も多く、わが家も可能な限り戸締まりはしてたんですが、ついにやられてしまいました(>_<)

犯人はおそらく台所から侵入したと思われ、2階を物色中に私たちと鉢合わせに!

ただし金目の物には一切手をつけず、被害はリンゴだけだったので特別に無罪放免にしてやりました。

犯人は「ヒーヨ!」と意味不明な言葉を連発していたのですが、皆さん、正体はもうお分かりですよね(笑)

犯人はヒヨドリ。
可愛い泥棒さんです。

外を見たらツグミンもいて何だか嬉しくなってしまい、家にあったリンゴを全部庭に大放出。
ホワイトハウスには、ミカンや私が拾い集めたクルミ等てんこ盛りにしてきました。

本日は臨時営業なり(^-^)

04/02

Sat

2011

しばらく更新できないと思ったんですが、
何とかなりそうなので引き続きやってみようかと思います。



さて、昨日ついに新しい携帯を買いました。
今までのはだいぶ古い型で電池もほとんどないため、この状況下それはマズいと思ったわけです。

それに絡んだ話ですが、地震発生の数日後に携帯が繋がるようになった瞬間、それまで貯まっていたメールがまとめてどっさり受信され、もうそれだけで電池がかなり減って焦りました。

みんな私の事を心配してくれていて、それは本当に嬉しかったんです。
でも、災害時は本当に必要な連絡以外は控えてほしいんです。

心苦しいながらも、これだけはハッキリ言わせて下さい。
震災直後のお見舞いメールは、家族の行方を探す上で障害になります。

心配する気持ちは、言葉で伝えるだけが全てじゃないはず。
まずは相手の状況を想像することから初めてみて下さい。


あぁ、何か偉そうな物言いでスミマセン(>_<)

ちなみに、ここのコメント欄は何の問題にもならないので、いくらでもどうぞ(笑)


写真は地震直後の仙台駅付近の様子。

一部外壁が落下したデパートと、
歩行者天国状態の駅前道路。



04/01

Fri

2011

ホワイトハウスは不死身です!








わが家から海の方を見た風景と、庭のエサ台です。


家の一階はメチャメチャで車もどこかに流されたってゆうに、まさかホワイトハウスが無事だとは(笑)

皆さん、頑丈なエサ台をご希望の場合は、カモミール工務店にご用命下さいね♪


もう以前のように庭に鳥たちが来てくれるかわからないけど、このエサ台は私にとって希望の象徴です。


少し間が開くかもしれませんが、また後日更新しますね。

03/31

Thu

2011

地震3~4日目

つづき



翌日も周囲の水は引かず、どうすることもできない。ただ避難所から家の方を眺めるしかない。

周りの人達の会話が耳に入り、近所でも行方不明や亡くなった方がだいぶいることがわかると、悪い想像ばかりしてしまう。とにかくもう一度家に行ってみよう。そう決心した時、急遽ここから別の避難所へ全員移動することに。

自宅から離れた避難所へ移ってしまったら、ますますお互いの居場所がわからなくなるので、その前にどうしても家を確認したかったけど、消防の人に止められる。
仕方なく皆と一緒に、もっと海から離れた別の避難所に。

そこは国道に近い中学校で、教室の中に入ると黒板には「卒業おめでとう」の文字が。ちょうど地震当日が卒業式だったのかもしれない。

教室に入って床に腰を下ろす。やはり毛布も何もない。壁にもたれてしばらく眠っていると、ふいに誰かが肩を叩く。
顔を上げると、目の前には妹が!

職場にいて無事だった妹は車であちこちの避難所を訪ね、ようやく私を発見したとのこと。
それまで一人きりだったので、この時の安堵感と心強さは一生忘れないでしょう。


そして翌日。地震から4日目。

妹が婚約者と一緒に車で自宅まで行き、家の二階にいた両親を連れてきてくれて、ようやく家族全員が無事再会。

両親の姿を見た時は、つい声を出して泣いてしまいました。

こうして家族が揃い、今現在、同じ避難所で生活しています。


皆さん、そんなに心配しないで下さいね。
我が家は幸せです。
最大の財産である命が無事だったんですから。

今は、それだけで充分です(^-^)

03/30

Wed

2011

つづき


地震の翌朝、一晩過ごした隣町の避難所を早々に出発し、昨夜引き返した道を歩いて行くと、やはり途中から道が水没。
じばし悩んだ末、とにかく前進することに。


冷たい水の中を歩いて行くと、至る所に車や瓦礫や流木などの漂流物が散乱し、アスファルトの道路はぬかるんでまるで田んぼのよう。

やっと自宅の見える位置まで来ると、家があった!
一階は水没してるものの二階は無事なのを確認して一安心。

しかし、家まで後わずかなのに、水が深く近寄れない。しかも津波警報が出たので、またもや引き返すことに。

途中、道で見かけた小さい女の子を背負い、自宅近くの避難所へ。下は水に浸かっているので二階に上がり、両親を探すも姿はなし。

着替えもタオルもストーブも何もないので、濡れた服を着たまま直接日光で乾かすべく、外の非常階段に腰かけて辺りを眺める。

避難所はまるで広大な湖の中に浮いてる島のような印象で、すぐ近くでは自衛隊や消防のヘリが、逃げ遅れた人を吊り上げて救助している。

もうそこにかつてののどかな風景はい。海の方はの集落まるごと消えていて、暴風林はスカスカ。
ふと、スマトラ島の光景を思い出しながら、私はテレビのニュース見て同情してたけど、本当は対岸の火事のように他人事だと思ってたんだなぁと反省。


最初の避難所と違い、ここは本当に何もない。
私が最初の避難所から持ってきた新聞の号外を見ていると、いつのまにやら避難所中で回し読み。何も知らぬは当の被災者ばかりなりといった感じだ。

この日の夕に頂いた食事は、たまたま流れ着いた車に積まれていたらしい出荷用のイチゴ。一パックを4人に分配。

停電のため当然夜は真っ暗。暖房は一切なく、何も持たない私は床に丸まって横になるしかない。寒い。水も食料もなくていいから、とにかく今は毛布がほしい。

そんな私を見かねて、近くにいた人が掛けるものを貸して下さった。本当にありがたい。

こうして2日目が終了。


つづく

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アホウドリに恋してます。
オナガガモを愛してます。
オシドリを崇拝してます。
アイガモを尊敬してます。
タンチョウが夢に出ます。

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